2009年06月16日

喘息様発作については、咳が多く出たり呼吸機能

喘息様発作については、咳が多く出たり呼吸機能の低下がみられ、重症例では呼吸困難になることもある。そうなった場合は無理をせずすみやかに救急医療機関を受診するか救急車を呼ぶべきである。従来は、花粉の粒子サイズから、それらは鼻で捕らえられるために下気道の症状である喘息などは起きないとされていたが、近年の研究でスギ花粉の周りにオービクルまたはユービッシュ体と呼ばれる鼻を通過するサイズの微粒子が多数付着していることがわかり、それらを吸引することで喘息が起こり得ることがわかってきた。二次飛散を繰り返すうちに細かく砕かれる花粉もあるとの推測もある。

花粉のアレルゲン性の高さも異なり、花粉の種類と量によっては、まれにアナフィラキシーショックを起こすこともある。重症者や、特に喘息の既往症のある患者は、激しい呼吸によって多量の花粉を吸引するおそれがあるような運動はなるべく避けるべきである(スギ花粉のアレルゲン性はそう高くはない)。

果物などを食べると口の中にかゆみやしびれなどを生じる口腔アレルギー症候群(OAS)を起こす場合もある。特に北海道に多いシラカバ花粉症でよくみられるほか、関西で多いヤシャブシ花粉症などでもみられる。リンゴ、モモ、ナシ、イチゴなど、バラ科の果実に反応することが多い。患者の多いスギ花粉症ではあまりないが、メロンなどに反応する例が知られている。トマトにも反応するという。アレルゲンがきわめて類似しているためと考えられている

花粉症を引き起こす植物は60種以上が報告されている。報告されていないものも含めればさらに多いであろうということは容易に想像できる。

春先に大量に飛散するスギの花粉が原因であるものが多いが、ヒノキ科、ブタクサ、マツ、イネ科、ヨモギなど他の植物の花粉によるアレルギーを持つ人も多くいる。
テニス
セキュリティ
花火
仏教絵画
東北地方
壁画
日用品
セパタクロー
印刷
水球
アスペルガー症候群
学習塾
ベリーダンス
北陸地方
水彩画
恐竜
水墨画
両生類
ジオキャッシング
アニマルセラピー

特にスギ花粉症患者の7?8割程度はヒノキ花粉にも反応する(よって、スギ・ヒノキ花粉症と呼んだほうがよいとの指摘もある)。また、「イネ科」と総称されることからもわかるとおり、その花粉症の患者は個別の植物ではなくいくつかのイネ科植物の花粉に反応することが知られている(○○科と総称されるのは光学顕微鏡による肉眼観察では区別がつかないためでもある)。これらは花粉に含まれているアレルゲンがきわめて類似なため、交差反応を起こしているからである。

スギの少ない北海道ではスギ花粉症は少なく、イネ科やシラカバ(シラカンバ)による花粉症が多いなど、地域差もある。中国地方、ことに六甲山周辺において、大量に植樹されたオオバヤシャブシによる花粉症が地域の社会問題になったこともある。北陸の稲作が盛んな地域では、他地域よりもハンノキ花粉症が多い(シラカバ、ハンノキ、ヤシャブシ、オバヤシャブシなどは口腔アレルギー症候群をおこしやすい)。

アメリカではブタクサ、ヨーロッパではイネ科の花粉症が多い。北欧ではシラカバ等カバノキ科の花粉症が多い。

花粉症の原因となる植物は、風に花粉を乗せて飛ばす風媒花が一般的であるが、職業性の花粉症にみられるように、その花粉を大量かつ長期にわたって吸い込んでいれば、どんな植物の花粉でも花粉症になり得ると考えられている。職業性の花粉症は果樹の人工授粉に従事する人など栽培農家によくみられるが、華道家が発症した例もある。

なお、セイタカアワダチソウ(セイタカアキノキリンソウ)の俗名がブタクサということもあり、ごく一部で混乱が生じている。実際、過去に花粉症の原因植物と言われたこともあったが、セイタカアワダチソウは虫媒花のため、原則的には花粉は飛ばさない。ただし、大群落を作ることが多く、こぼれた花粉が周辺に飛散してしまうことはある。同じキク科のため、ブタクサやヨモギ等の花粉症の人は注意が必要である。

大群落という点では、果樹園や田畑の周辺に居住する人も要注意であるが、日本人の主食となっている米をとるイネは、意外にも花粉症の原因になることは少ない。開花期が早朝でごく短く、水田で栽培されるためである。

これらの原因花粉をつきとめるためにはアレルゲンの検査が必要であるが、身近にその植物があれば患者自身でもわかりやすい。花粉の観測を行っている施設は多いが、そのかなりはスギ・ヒノキの飛散期間のみであり、通年で行っていたとしても、ほとんどはビルの屋上などに装置を設置しているため、草花花粉についての正しい飛散情報は得ることがむずかしい。また、飛散範囲が局地的であることも、草花花粉の飛散情報を得るのが難しい原因となっている。

2009年05月30日

左大臣

左大臣(さだいじん)は、朝廷の最高機関、太政官の職の一つ。唐名は「左府」「左丞相」「左相国」「左僕射」「太傅(たいふ)」。和訓は「ひだりのおおいもうちぎみ/ひだりのおとど」。官位相当は正・従二位。

「一上(いちのかみ)」の別称が示すとおり、太政官の職務を統べる議政官の首座として朝議を主催した。左大臣の上位の太政大臣は具体的職掌がなく、功労者を待遇する名誉職であり、また「則闕(そっけつ)の官」といって常置の職ではなかったため、左大臣が太政官における事実上の最高位であった。摂関政治の最盛期に位置する藤原道長・藤原頼通も長期にわたって左大臣の地位を保持し続けており、太政大臣であった期間はごく短い。
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『日本書紀』『続日本紀』などの記録を見ると、律令制の初期には適任者がなく左大臣が不在となっていた時期も少なくない。その場合は右大臣が政務を代行した。10世紀前半の藤原忠平から、ほぼ常設となった。

2009年04月27日

第一段階: ドイツによる侵略

ドイツによる種々の自作自演の事件(ヒムラー作戦)は、ドイツの軍事行動は自衛権の行使なのだというプロパガンダに利用された。1939年8月31日、当時ドイツ領(現在はポーランド領)にあったグライヴィッツ(ポーランド名グリヴィツェ)市のラジオ放送局にアルフレッド・ナウヨック親衛隊少佐率いる特殊工作部隊がやってきて、ドイツ領シレジア地方のポーランド系住民に向けて、ストライキを決行するようポーランド語で呼びかけた。「ポーランドによるラジオ局襲撃事件」に見せかけるのが目的だった。よりそれらしく見せるために、親ポーランド的だとして前日ゲシュタポに逮捕されていたシレジア人のフランチシェック・ホニ

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オックを現場に連行し、ポーランドの反乱兵の服装をさせ、彼に致死量の毒物を注射して銃で撃った。ホニオックの死体はまるでラジオ局襲撃の際の攻防で殺害されたかのように現場に放置され、ドイツの警察とマスコミに対して、これはポーランド側の襲撃の動かぬ証拠として差し出された。ドイツ側はこの偽装工作を「缶詰」 (Konserve) という暗号で呼んでいた。そのためこの偽装工作事件は「缶詰作戦」という不正確な名前で知られている。ヒムラー作戦で実行されたドイツによる偽装工作はこのグライヴィッツ事件のほか、ポーランド国境付近の放火事件や偽のプロパガンダ活動事件など全部で21件とされている。アドルフ・ヒトラーは帝国議会での宣戦布告の演説でこれら21件の事件に触れ、ポーランドへの「自衛権」行使は第三帝国の正当な権利であるとした。

2009年04月10日

トロンボーン

トロンボーン(トロムボーン)は中型の金管楽器。2つの長いU字型の管を繋ぎ合わせた形状を持ち、通常、その一部(スライド)を伸縮させて音程の高低を生み出す。一般的な調性は変ロ調(B♭)である。クラシック音楽やジャズをはじめ、多くの分野で使用される。

イタリア語でTrombone、英語・フランス語ではTrombone、ドイツ語でPosaune、中国語では?号(長號)、ロシア語ではТромбон。そもそもラッパはイタリア語でTrombaであるが、より大きなものを表す際に語尾変化によって派生語を生み出す拡大辞“-one”を付けたのが語源であり、Tromb(a) + one = Tromboneは「大ラッパ」という意味に該当する。

略称は「Tb」,「Trb」,「Tbn」,「Pos」などが見られるが、「Tb」だと“Tuba”の略記と、「Trb」だと“Tromba”の略記と混同されうるため、特にクラシック音楽の分野では「Tbn」または「Pos」の略記が推奨される。口語ではボントロ、ボーンと略される事もある。

各部の名称 [編集]
チューニング管
バランサー(おもり)
ベル(朝顔)
支柱
マウスピース(歌口、唄口)
スライド

スライドの伸縮で音程の高低を生み出すスライド式の楽器が一般的だが、バルブ式のものも存在する。最も標準的な調性は変ロ調(B♭)であり、スライドの他に1個ないしは2個のバルブと迂回管を持つもの(テナーバストロンボーン、バストロンボーン)もある。追加のバルブは低音域の拡張や、スライドを動かす距離を短くして操作を向上する役割を果たしている。バルブを持たないものは通常、前後の重量の均衡を取るための「バランサー」と呼ばれるおもりを、後方のU字管の近くに取り付けている。このバランサーは音色や吹奏感にも影響を与える。

スライドは内管と外管を重ね合わせた構造をしている。内外のスライドが重なっている長さは、近いポジションで長く、遠いポジションで短くなる。このため古くは、近いポジションの時には摩擦抵抗が大きく、遠いポジションの時には抵抗が小さいという現象を生み、均一な力では操作できないという欠点や、遠いポジションの時ほど息もれが激しくなるという欠点があった。これは後に、内管の先端を微妙に太くした「ストッキング」という部分で外管と接するようにしたことで解決され、これにより操作性が向上した。

収納の際はベル側のU字管とスライド側のU字管とに分割できる。まれに、ホルンに見られるようにベルにネジ山を切って、そこでも分割できるデタッチャブル・ベルの楽器もあり、アルト・テナー・バスの一部の楽器にそれぞれ採用されている。

左手で楽器の重量を支える。中指・薬指・小指で楽器を握る。1個のバルブがある場合、そのレバーは左手親指で操作することが多い。2個のバルブがある場合は、2個のレバーをともに親指で操作するもの、一方を親指で操作し、他方を中指で操作するものなどがある。自由な右手でスライドを軽く持って操作する。スライドには、最も手前の第1ポジションから、最も遠くまで右手を伸ばしたところにある第7ポジションまでがある。ポジションが1つ遠ざかると半音下がる。この仕組みと各ポジションで得られる倍音の組み合わせで音階を作ることができる。

ギターのフレットに当たるような特別な目印はないため、奏者はベルの位置などを目安にして、自分の感覚でポジションを定めて音程を得る。そのため初心者にとっては正しい音程での演奏は難しいが、熟練すればスライドの微調整によって正確なハーモニーを得ることが出来る。またスライドはポルタメントの演奏を容易にしている。

広く使われる特殊奏法としては、隣り合った倍音同士を高速に移動するリップトリル、巻き舌で演奏するフラッタータンギング、演奏しながら声帯を振動させる重音などが挙げられる。

他の金管楽器と同様に、音色を変える目的で種々の弱音器が使われる。

チャージ タラソ パント トレード 赤ランプ ヒョウ ナブラ ブルマナ スラト トムトム あしたば おれたち シュズ ルームメ カミオ シシュフ パナマ ダウン すだち ダイナ オカル チンギス リージア ネオジ つるが リニティ バップ オロシ かいづか あつま 石榴 ジエンド プレッ ラウンジ ドロップ ビクー ひらら ビノク シェーカー ラタトゥ 麦わら イキシア パッチ ウイロ 麦わら帽子 単発ガ ネイビー ライフ ムスリム ロベリア


2009年03月27日

ドルフィー・ドリーム

ドルフィー・ドリーム (Dollfie Dream)とは、株式会社ボークスによって製造、販売されているPVC製の一般向け球体関節人形である。DDと略されることもある。

2003年8月発表開始。主として女性をターゲットにしたスーパードルフィー(SD)に対し、主に男性をターゲットとして企画されたドールシリーズである。
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

 先行して発売されていたスーパードルフィー(SD)やミニスーパードルフィー(MSD)が女性向けの色合いの強いフランス人形の延長に位置付けられるような完成モデル・ドレスやパーツの展開が成されているのに比較して、本シリーズは、アニメやゲームのキャラクターを再現した完成モデルが多いのが特徴となっている(オリジナルモデルも発売している)。もちろん、スーパードルフィーシリーズ同様カスタマイズドールの素材としても発売されているが、カスタマイズの前提となる部分パーツの種類、供給量ともに少なく(ポーズの表情を出すのに欠かせないハンドパーツですら、品切れしている場合がある)、完成品販売が主体となっている。

特徴 [編集]
現在発売されているのは女性型モデルのみ。
発売開始直後のバリエーションは成人女性体型のDDのみだったが、2007年05月04日に幼児体型タイプのミニドルフィードリーム(Mini Dollfie Dream)(MDD)も発売された。現在ではMDD素体や胸パーツ、ハンドパーツも発売されている。また、2008年12月7日にDDの体型をメリハリのあるダイナミックなものとした変更したドルフィ・ドリーム・ダイナマイト(Dollfie Dream Dynamite)(DDdy)も発売された。
ボディの色はノーマル(オビツボディの「ホワイティ」に相当)とホワイト,褐色の3種類が存在するが、素体はノーマルとホワイトの2種のみ発売されている。MDDに関しては、素体はノーマルのみだが、限定モデルでホワイトが発売されている。
DDのボディは、SD等の他の球体間接ドールと同じように間接保持に内部にテンションゴムを使用した旧型のベースボディ?と、内部に樹脂製可動フレーム(ボークスではDDIF(Dollfie Dream Inner Frame)と称す)を内蔵した現行のベースボディ?がある。構造の違いから双方には部品の互換性がないが、ボークス純正のアダプターを使用すればベースボディ?用の頭部パーツを旧型のベースボディ?に装着することは可能。また、新旧で体形に差はないため、衣装の流用は可能。
DDベースボディ?・MDDの関節はそれぞれ異なる素材(ABS・POMなど)を使用している。基本的にネジ止めだが、接続にスプリングやはめ込みを採用している箇所がある。
ハンドパーツについてはDD・MDD共に豊富なラインナップとなっている(その数はオビツボディよりも多い)。現在発売している種類は素体付属のデフォルトハンド(単品売りもある)のほかに、「握り手(グー)」・「開き手(パー)」・「指差し手」・「Vサイン(チョキ)」・「持ち手(DDのみ)」が発売している。ただし、ホワイトのハンドバリエーションは現在のところ発売されていない(ただしデフォルトハンドの別売りはされている)。
同じボークス製のSDとは全長が近くSD用の衣装が流用できる場合があるが、SDと比べると腰周りが細くだぶつくため、ボディに密着し体の線が出るタイプのドレスの場合は注意が必要。他社の60cmドール衣装も流用可能だが、一部サイズが合わないものが存在する。
MDDの場合は、サイズや体型の関係で他社の衣装との互換性がないものが多い。ただし、ドレスショップなどで製作したMDDサイズの衣装が販売されているため、数が少ないながらも衣装の選択肢はあるといえる。MSDサイズの衣装も流用可能。
シューズはDD・MDDのサイズに合わせたモデルが発売されている。ただし、殆どはSD(MDDの場合はMSD)との共用である。なお、DDは足の甲がオビツボディより厚いため、他社のシューズとサイズが合わないものがある。
ウィッグは専用サイズの商品が発売されているが、SD用や他社製(ウィッグキャップの円周長が8?9または9?10インチ)のウィッグを流用する事も可能。ただし、ウィッグによってはサイズが合わないものがある。その場合はヘッドにヘッドキャップをかぶせ、その上にウィッグを被せることで対応できる。
完成作品が販売の主体となっているが、改造・自作用の素体としても販売されている。また、体格を変えるためのパーツも販売している。
DDdyはベースボディ?の外殻部品を変更したものでDDおよびDD?とは体型と上下半身の分割部分が大幅に変更され、ボディー色は、ノーマルと褐色の発売を予定されている。なお、素体単体、各部品の単品発売の予定、従来素体用のドレスとの互換性については発表されていない。

問題点 [編集]
PVC製のため、着用した衣類やウィッグから素体へ色移りという色素の侵食現象がしやすい。特に黒、紺系の濃いめの色ではその傾向が顕著であり、予防するには、ヘッドキャップやボディストッキングを色移りしてしまう前に装着するか、あらかじめ本体にスーパークリアーなどでコーティングをするなどの対処法が必要となる(それでも根本的な対処法にはなっておらず、色移りを防ぐには頻繁に服を着替えたりウィッグを取り替えたり、ポリ塩化ビニルラップフィルムを間に挟んだりする必要がある)。また、万が一色移りしてしまった場合の補修については該当部分の交換が必要となる(色素が内部まで侵食しているため研磨による除去は不可能。ただし、初期の状態ならクリーナーなどで落とせることもある)が、2007年12月23日開催のドールズパーティーで供給が全種類に拡大されるまで補修用パーツが用意されている部位が一部に限られていたため、部位によっては素体全体の交換が必要となっていた(ただしこれはDDに限ってであり、MDDに関しては現在のところ補修用パーツ販売はされていない。ただし、DDでのパーツ販売が開始されたため、パーツ販売される可能性はあるといえる)。
可動フレームに関してはパーツごとの販売はされておらず、関節を破損した場合は自力でフレームを補修するか、素体ごと交換する必要がある(オビツボディの場合はフレームのパーツ販売があるため、DD・MDDのフレームパーツ販売を要望している購入者も多い)。 
MDDは手首足首の内部フレームの軸が細いため破損が起きやすく、首に仕込まれたバネの力にパーツが耐えきれずヒビが入りやすい問題を抱えている(バネを調整、もしくは交換する事で多少改善する事は可能)。また、外皮に対して手足のフレーム軸が長いため、デフォルトのままでは僅かに軸が露出する。それが気になる場合は、軸の長さをニッパーなどで切り詰める加工が必要になる。
オビツボディの場合、基本的にネジ締め(ネジ本体とナットの組み合わせ)で関節が構成されているが、DD・MDDの場合はネジを使わない関節がある(肘や手首など。Q-JOYのジョイントとほぼ同じ構成だが、差し込む側のジョイントの形がフック状になっている)。これはできる限りネジ山が露出するのを抑え、見た目を美しく魅せるためであるが、分解しにくいパーツがあるため、メンテナンス面と関節保持力に問題が生じている(DDの場合。MDDはある程度分解しやすくなってはいるものの、逆に関節の保持力がDDよりも弱くなっている)。
自作や改造、色移りの補修に必要な素体や頭部、手首などの個別部品の供給量が少なく、直営店・メーカーWEB通販とも欠品状態であることが多い。
完成品販売が主体であるにもかかわらず、DDの完成モデルはイベント販売とイベント直後の直営店による数量限定販売でしか入手の機会がなく、常時店頭販売するスタンダードモデルが存在しない状態が発売後4年以上(2007年10月20日発売のスタンダードモデル、アオイ・ユキノの発売まで)続いていた。MDDについては、現在のところスタンダードモデルの販売は予定されていない。
数量限定販売の完成モデルは原則的に再発売されていない(たとえ同キャラクターでも同じ仕様の再発売はなく、衣装などを変えて発売することが殆ど)。その影響で希少性が高くなり一部の人気モデルでは定価の2?5倍の高額でオークション取引される例もある(それを狙った投機目的ともいえる購入者も多い[要出典])。
頭部パーツは通算20種類を越えるが、パーツのみでの販売は植毛済みヘッドを含め4種類(廃盤となったDD-01ボディ付属ヘッドを含めれば5種類)しかなく、大部分は数量限定販売の完成モデルで使用されているのみである(完成モデルのヘッドパーツの5割以上はアニメキャラクターに準じたヘッド(またはそれに近い形状のヘッド)のため、パーツ販売が難しいという事情もある)。そのこともあるため、ユーザーからはヘッドの種類を増やして欲しいという声も上がっている。
発売モデルはDD・MDD共に女性型のみで、男性型は発売されていない。これは、主なターゲットが男性であることが関係していると推測される。しかし、DD(MDD)のオーナーには女性もいるため、男性型のDDを発売して欲しいという要望もある。

初期化タグ

これらは初期プロパティを制御するためのセル定義の拡張である。これらはセル定義の末尾にコメントとして現れ、直後に % とコードが続く。 最初の機能 (%t - 初期透明度の制御) は最初のレベルのfkissの最終仕様で追加された。FKiSS4で追加された他のプロパティには表示状態 (%u)、クリックできるかどうか (%g)、およびオフセットの上書き (%xと%y)がある。

プラグマ [編集]
これらは設定ファイルに追加されるコメントで、セットを自動表示する最善の方法をビューアプログラムに提示する。当初は日本で他のKISSセットの追加セットであることを示すために使われ (;INCLUDE -- すなわち、セットに含まれないリソースの検索場所)、後のビューアは読み込もうとしているセットの最適設定を示すために使った (;HINT)。

Cherry Kiss [編集]
通称 'ckiss'。これはバイナリデータヘッダレコードの拡張であり、他の拡張と異なり設定ファイルには変更を加えない。ckissはセルファイルが生の24ビット色データと可変透明度のために8ビットのアルファチャネルを含めるようにする仕様である。ckissセルはパレットベースのセルと比べてディスク容量を多く使う傾向があり、圧縮もないため、ほとんどの作者は慎重に使っている。

グループ化 [編集]
テストとアニメーションのために多数のセルを制御するのを簡略化するため (もしくは特定のセルを一意に識別するため) ユーザーグループ化がFKiSS4とともに追加された。

KISSの作成 [編集]
ほとんどのプラットフォーム上に、標準的な画像形式 (通常BMP、GIF、もしくはPSDファイル) からKISSセルとKCFファイルへの変換が可能なプログラムが多数存在する。作者はもととなる画像を任意のフリーウェアや市販のグラフィックソフトウェアで作成できる。設定ファイルは (あらゆるオペレーティングシステムソフトウェアに標準で付属する) テキストエディタで書かれる。ひとたび基本的なファイルを作成したら、KISSビューアが表示とセットの微調整に使われ、それからパッケージングにLZH対応のアーカイバが使われる。必要なソフトウェアはすべて、KISS作成の詳細なチュートリアルと同様インターネットから無償で入手可能である。

コミュニティ [編集]
現代のインターネット上のKISSコミュニティはDollz (en) コミュニティに類似していてある程度重なり合う部分もあるが、両者ははっきりと異なっており、互いに自らの作品を保護している。しかしながらKISSアートはより特殊化しているので、英語圏のKISSコミュニティはインターネットで最大の人形アーカイブであるthe BiG KiSS Pageに集中している。ただし2000年以降、回線料金のためBKPはほとんどの人形のダウンロードを購読者だけに認めることを余儀なくされており、アクティブなコミュニティのサイズに負の影響を与えている。

人形に服を着せられることは服を脱がせられることも暗示するため、メインコミュニティとは独立に'アダルト' KISSのサブジャンルが常に存在してきた。

Eric Zimmermanは、以下のようなKISSの設計が原因でKISSは脱衣ゲームになりがちであると分析している[9]。

紙の着せ替えとは異なり、多くの人形は初期状態で衣装一式を身につけている。したがって最初の操作は必然的に服を脱がせることになる。
服の移動はドラッグ・アンド・ドロップで行われる。ドラッグ・アンド・ドロップで服を脱がせるのは簡単だが、服を着せるにはピクセル単位で画像の位置を合わせる必要があり非常に面倒である。しかもボタンを押すだけで10組までの衣装の組み合わせを切り替えできるので、着せ替えのために面倒な操作をする必要はない。これらの理由からドラッグ・アンド・ドロップはほとんど服を脱がせることが目的となる。

サイコ チューブ イニシャ コムデ ティーチ カクレミノ ビヨウ クロの景色 シェード テスト プラコ ノーヒッタ チャンピ シンタ シンパシー ジストニア カオリン リール ハイラ ガーター バブリ アセロ ダガナ くしがき ヒロイズム マジック さじ日本 テスラコイ ナイトツア トリップ でぃるは パーゴラ あせろら ファルス オーバ オーソラ ネイリ ビルジ マッチ ライト トスト チっつぐ ジャカー 真実の泉 フレッシ ミゼット レーション ケルシ 無情 ブーツ

2009年03月11日

シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園

「シタデル、サン=スーシ城、ラミエール国立歴史公園」は、ユネスコの世界遺産登録物件の一つである。2007年の第31回世界遺産委員会終了時点では、ハイチ唯一の世界遺産でもある。

登録名が表すように、ラミエール国立歴史公園内に残る、シタデル、サン=スーシ城と、その他の遺跡群が対象となっている。

シタデル
シタデルは、1805年から1817年にかけて標高 970 m のラフェリエール山の頂に建造された、巨大な要塞である。アンリ・クリストフ(のちのハイチ国王アンリ1世)が中心となって建造された要塞で、独立まもないハイチを再び支配化に置こうと旧宗主国のフランス軍が侵攻してくることを想定したものであった。365門の砲台と数万単位の砲弾、さらに巨大な食料庫と貯水槽も設置され、長期に及ぶ籠城戦にも堪えられるように準備されていたが、実際にフランス軍が攻めてくることはなかった。

20万人を駆使して建造させた当のアンリ・クリストフは、国内の不満の高まりを受け、完成した3年後に自殺に追い込まれた。彼が自殺したのは近隣のサン=スーシ城であったが、亡骸はシタデルに葬られた。

サン=スーシ城
サン=スーシ城(Palais Sans-Souci)はハイチのアンリ・クリストフが居城とした建物である。現在の北県のミロー (Milot) にある。建設は1807年に始まり、1813年に完成した。サン=スーシはフランス語で「憂いなし」を意味する。

サン=スーシ城のモデルになったのはヴェルサイユ宮殿であり、建造にあたってバロック様式がとり入れられた。内装も高級木材や大理石などを使った豪奢なもので、フランスやイタリアから取り寄せられた建材や装飾品も用いられた。
いしゅく モルゲン ソニック サシン プラウザー チャプ ノビル すいたい イルク トンブ じゅんさい エンジンシ テクニ クロス リーファ 青皮栗 きんし リターン ラリマール セリバシー ステンド トローク モーグル イヌツゲ リズム バスタブ スペース たまねぎ SEOハツ アオクサ ショット アップ オートモ ファイト リケッチア ぬく森 吾亦紅 ビリンビン ガロン ハナズオウ シェー シュピ へいどん ゲーター カレッジ レジデ カヌー マウンテン はなさか ハハコ

ハイチで国王アンリ1世として君臨したアンリ・クリストフはこの城を居城としていたが、国内の不満の高まりを受けて、1820年10月8日にこの城の庭園で自殺した。ハイチの伝説では、彼は銀の小銃で黄金の弾丸を撃ちこんだという[1]。アンリの亡骸はシタデルに葬られたが、自殺に関連してサン=スーシ城の遺跡では亡霊が出るとうわさされた。彼の息子で王太子だったジャック=ヴィクトル・アンリ(Jacques-Victor Henry)も、同じ年の10月18日に革命派によって銃剣で刺され、この城で歿した。

1842年にカパイシャン一帯を襲った地震で、この城も大きな損害を受けたが、再建されることはなかった。

ラミエール国立歴史公園
ラミエールの丘には、ラテンアメリカで初の独立国となったハイチの、独立当初の建造物群が多く残っている。シタデルやサン=スーシ城はその代表的なものである。ラミエールの丘とその周辺は1978年に国立歴史公園に指定された。この地区は同時にIUCNの分類では景観保護区とされている

2009年02月23日

オーストロネシア語族

オーストロネシア語族は台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族である。日本語では南島語族とも訳される。かつてはマレー・ポリネシア語族と呼ばれていたが、台湾原住民諸語との類縁性が証明された。この台湾原住民の諸語が言語学的にもっとも古い形を保っており、考古学的な証拠と併せて、オーストロネシア語族は台湾からフィリピン、インドネシア、マレー半島と南下し、西暦 5 世紀にインド洋を越えてマダガスカル島に達し、さらに東の太平洋の島々に拡散したとされる。ただしパプア・ニューギニアの大部分とオーストラリアの原住民の言語は含まない。
ネオコ ダーリン ビザン じゅうも リューマ しゃかとう バウン シミュ クロレ スクウィ チンキキ バニリン ドレミ 喜びの泉 レプトン デニン プレス インビボ 太陽の記憶 スイーター スリーパー タイア レジャ リアシ リッター パール ブース ミクロ シネマイ ハーフ ブラック ゼニア シャンペン ひだまり ユーラ オービ キシロ みそぎ パドバ 太秋柿 ガールフ カーボン ケルベ ステゴドン プロト セラピー ショーウ サーチリス ラフト ラゲージ

オーストロネシア語族は千前後の言語[1]から構成され、西はマダガスカル島から東はイースター島まで、北は台湾・ハワイから南はニュージーランドまでと非常に広く分布している。近代のインド・ヨーロッパ語族の拡大まで、最大の範囲に広がる語族であった。しかし範囲の広さに関わらず言語間の類縁性がきわめて高く、語族として確立している。

話者が最も多いのはインドネシアで、この国の国語と定められているインドネシア語はマレー語をもとにして人工的に作られた言語であるが、各地域にはジャワ語、スンダ語、マドゥラ語、ミナンカバウ語、バリ語、ブギス語、マカッサル語、アチェ語などが分布し、インドネシア語はこれらマレー系諸言語の共通語として生まれた。マレー語がインドネシアの共通語となった歴史的背景としては 15 世紀から 16 世紀初頭にかけてマレー半島南岸に繁栄したマラッカ王国の影響が挙げられる。マラッカ王国からイスラームが広がり、その言語が商業用語としても広く用いられたからである。マレーシアの国語はバハサ・マレーシアといい、マレー語を基礎とするものだが、マレーシア語とインドネシア語は 90% 共通する。

フィリピンの共通語はルソン島南部のマレー系言語であるタガログ語だが、フィリピンも各地域にセブ語、イロコス語、パンガシナン語などマレー系言語が分布している。マレー系言語はインドシナ半島にも分布する。古くからチャンパ王国を建国したチャム族の言語チャム語である。チャンパ王国はベトナムに滅ぼされたが、民族としてのチャム族はベトナム中部からカンボジアに今も存続している。

アフリカ東部のマダガスカルにまでマレー系言語が分布しているのは驚くべきことだが、これは全く海洋民族であるマレー系民族の移住によるものである。距離が遠く離れているにもかかわらず、マダガスカル語(マラガシー語)とマレー語との言語学的な親縁関係は強いとされる。マダガスカルのマレー系民族は人種的にはアフリカ黒人のバンツー民族と混血していて、言語にもその影響が見られる。

オーストロネシア語族の祖形を残す台湾原住民(中国語では高山族、日本語では高砂族)諸部族の言語はアタヤル語群、ツオウ語群、パイワン語群に大別され、このうちパイワン語群に属するアミ語の話者が 10 万人前後と最も多く、その他の言語の話者は数千人以下である。現代の台湾では中国語の影響が強く、原住民言語は消滅する傾向がある。

太平洋のオーストロネシア語族(海洋系)はニューギニア北部沿岸地域の言語から派生した。メラネシア系とポリネシア系に大別され、前者から後者が派生した。メラネシア系は中部太平洋のソロモン諸島、ニューヘブリディーズ諸島(バヌアツ)、フィジーなどに分布し、ポリネシア系はアメリカ合衆国のハワイ諸島、チリのイースター島、サモア、トンガ、ニュージーランドに分布する。ニュージーランドのポリネシア系原住民マオリ族の言語がオーストロネシア語族の南限となる。

分類
言語学的な分類は言語学者によって諸説あるが、ここでは有力な分類[2]を紹介する。

アタヤル語群、ツオウ語群、パイワン語群(台湾の原住民諸言語)
これは台湾原住民諸部族がお互いに無関係に古い言語を保持してきたためと考えられる

マレー・ポリネシア語群
西マレー・ポリネシア系  フィリピンの諸言語とセレベス、ボルネオ、スンダの諸言語。マレー語やチャム語はスンダ語系に属する。
中東部マレー・ポリネシア系
中東部系は中部系と東部系に別れ、 中部系はインドネシアのマルク諸島の言語である。 東部系はニューギニア西北部の言語と海洋系に分れ、メラネシアやポリネシアの諸言語は海洋系に所属する。

最近オークランド大学のグループは語彙統計学の方法を用い、オーストロネシア語族の400言語の系統関係を推定しサイエンス誌に発表した[3]。それによると、言語学的に推測されていた<台湾→フィリピン→インドネシア付近→メラネシア→ポリネシア>という分岐経路を支持する結果が得られた。また考古学の成果などに基づいて分岐年代を見積もったところ、

アウストロネシア祖語は今から約5200年前に存在し、これからまず台湾諸語が分岐した
フィリピンでの分岐前の段階(4千年ほど前)で数百年間の分岐停滞があった
その後フィリピン、インドネシアからマダガスカルや西ポリネシアに至る様々な言語が次々に分岐した
東ポリネシアでの分岐前の段階(2千年ほど前)でまた数百年間の分岐停滞があった
と推定された。2回の停滞期は広い海洋(台湾→フィリピン、西ポリネシア→東ポリネシア)を渡って移住するために技術(アウトリガーカヌー・ダブルカヌーや航海術)および社会の面で変革が必要であったことを示唆する。さらに同誌同号にはこの地域の人々の持つピロリ菌(家族など親密な人の間でのみ伝染するとされる)の遺伝学的比較も発表された[4]。これは上の推定とよく一致し、実際にそのような人間の移住があった傍証と見られる。

特徴
これらの言語には非常に多様性があり、一般化は難しいが、およそ次のようなことが言える。

音韻論的には、音節構造は比較的単純であり、子音+母音(語末子音もあるが、一部言語では脱落した)からなる。子音の種類は、古くはかなり多かった可能性がある。
接辞(接頭辞、接尾辞、接中辞)が単語の派生あるいは文法的機能に関わる。特に単語の内部に挿入される接中辞が特徴的である(現在はこれらの接辞が化石化した言語も多い)。また畳語がよく用いられる。
統語的性質からはほぼ3つのグループに分けられる。そのうちの1つ(フィリピン・グループ)は、動詞が文頭に来る語順が基本であり、また格・態の用い方に関して部分的に能格言語的な性格を示す(「焦点」と呼ばれる)。
一人称双数・複数には、包括形と排他形(相手を含むかどうかの区別)がある。
時制はないが相の区別はある。

日本語との関連
日本語の文法は北アジアおよび中央アジアのアルタイ諸語との類似性が高いが、母音の強い音韻体系はオーストロネシア語族との類似性が高い(ただしオーストロネシア語族では元来あった語尾の子音が脱落して開音節化した言語が多いと考えられ、いっぽう北方でも満州語などのように母音の多い言語もある)。また一部の単語のオーストロネシア起源も指摘されている。日本語のこのような特徴はシベリアから樺太経由で南下した言語集団と南方系の言語集団が縄文時代に日本列島で出会い、混交したからであるとする説がとなえられている。詳しくは日本語の起源を参照。

2009年02月06日

勾玉からみる地域交流

遅くとも縄文中期(BC5,000年)頃にはヒスイ製勾玉がつくられていたことが判明しており、特に新潟県糸魚川の「長者ヶ原遺跡」からはヒスイ製勾玉とともにヒスイの工房が発見されており、蛍光X線分析によると青森県の「三内丸山遺跡」や北海道南部で出土されるヒスイは糸魚川産であることがわかっており、このことから縄文人が広い範囲でお互いに交易をしていたと考えられている。後年には日本製勾玉は朝鮮半島へも伝播している。
フィーバー プレイン ニソガラ てっさく ヒット ロイター 花いちもん スダコタ まんば 甘露国内 ダウト 茜色の約束 イコン デジポ 田園列車 ライプチヒ スキャ ジンビター ププス セレナーデ チガヤ ジャスト ドライカ サンカ デッド 場春夢 スーパー カジスカ ピアサポト マンボウ モンド クロミッド タロミクス せっせっせ レーン ナイト いまさく リース あずきいろ カートリ チューハ レビュ フィン ふすまえ シャブシ カーソル ベロニカ キャリ バビロニ キャラ

大陸との交流
九州島の文化圏は打製石鋸や結合型釣り針など、朝鮮半島や渤海湾沿岸の新石器文化との間に共通する要素を多く持っており、これらの地域との間で継続的に人や物の移動があったと推測されている。縄文後期に出現する雑穀栽培の技術は大陸から導入されたとする説もある[9]。

縄文文化の分布範囲
縄文文化の定義は一様ではない為、縄文文化が地理的にどのような範囲に分布していたかを一義に決定することは出来ない。縄文土器の分布を目安とした場合、北は宗谷岬と千島列島、南は沖縄島を限界とし、宮古島や八重山諸島には分布しない(宮古島や八重山諸島は台湾島の土器と同系統のもの)。すなわち、現在の日本国の国境線とは微妙にズレた範囲が縄文土器の分布域である。

縄文人のくらし
遺物としては煮沸器具である縄文土器が、住居は竪穴式住居が多くみつかっており、集落を構成していた。縄文時代を代表する狩猟具は、弓矢である。矢の先端には、石の鏃として石鏃が使われた。弓・弦・矢柄とも植物が使われている。縄文人は盛んに弓矢を使って狩猟活動をしていた。

また、石器の産地の考察から、縄文時代にも海洋を越える交易があったことも分かってきている。また、死者を埋葬した跡があることから、縄文の人々には初期の宗教観があったことも確認されている。

従来の歴史書では縄文時代は、人々は主に植物採取・狩猟や漁撈をして、少人数の集団が移動をしながら暮らしていた素朴な時代と考えられていたが、近年の考古学上の発見により、縄文時代観が大幅に塗り替えられつつある。

例えば、1992年から発掘が始まった青森県青森市の三内丸山遺跡の調査により、長期間にわたって定住生活をしていたことや、クリ、ドングリ、ヒョウタン、マメなどを植林栽培して初歩的農(林)業を行っていたことがわかっている。三内丸山遺跡を象徴する巨大木造建築物も発見された。

石器作り
石器は、縄文人の生活する上で、なくてはならないものである。石器を作る石材は集落の周辺に有るとは限らない。特に黒曜石やサヌカイトは何処にでもある石材ではない。良質な黒曜石は、北海道から近畿地方にまで分布している。集落間の物々交換だけではこのような広範囲にまで広がらない。そこには専門の石器製作の集団が存在し、各地に供給する組織が存在したと思われる。

土器作り
縄文土器は、各集落で自給自足していたと思われてきたが、土器作りはそう容易ではなく、専門技術を持った集団が組織的に行わなければ出来ない仕事であることが分かっている。土器作りの専門集団が大量に生産し、各地に供給する組織があったのであろう。

環状石籬(かんじょうせきり)
縄文時代の大型遺構の一つに配石遺構がある。ヨーロッパのストーン・サークルに因んで環状石籬と命名された。共同墓地で、共同祭祀が行われた。北海道から中国・四国地方まで分布し、発見例が増えてきている。ここでも、既述の石器づくりや土器づくりで考えたように、集落をこえる村落規模の社会が出来上がっていたのではないかと考えられている。

縄文時代の暮らしを仮説を元にモデル化したものとして、小林達雄の研究などがある。

稲作のはじまり
現在ではプラント・オパールの研究により、縄文時代後期から晩期にかけては熱帯ジャポニカの焼畑稲作が行われていたことが判明している。

イネの品種には、ジャポニカ(日本型)・ジャバニカ(ジャワ型)とインディカ(インド型)があり、ジャポニカは更に、温帯ジャポニカと熱帯ジャポニカに分かれる。温帯ジャポニカは、中国の長江北側から、日本列島というごく限られた地域に水稲農耕と密接に結びついて分布している。弥生時代以降の水稲も温帯ジャポニカであるとされている。熱帯ジャポニカは、インディカの分布と重なりながら、更に広い範囲に分布し、陸稲と密接に結びついているのが特徴であるとされる。

列島へは、まず熱帯ジャポニカが南西諸島を通って列島に伝播した。温帯ジャポニカによる水稲農耕の始まりも近年の稲DNAに基づく研究では、DNAの多様性が朝鮮半島の方が少ないことから南方経由の可能性が高いとされ、また朝鮮北部での水耕田跡が近代まで見つからないことや朝鮮半島での確認された炭化米が紀元前2000年が最古であり、日本列島のものを遡れないことなどから、稲作は日本列島から朝鮮半島へ伝播した説も出ている。[10]

縄文時代のイネは、炭化米が後期後半の熊本県の上ノ原遺跡などから検出されており、籾跡土器の胎土から検出されたイネのプラント・オパールに至っては、後期後半の西日本各地の遺跡[11]から発見されている。このため、後期後半の日本列島でイネが栽培されていたことは間違いない。ただ、イネが単独で栽培されていたわけでなく、オオムギ、ヒエ、キビ、アワ、ソバなどの雑穀類の栽培やアズキ、大豆なども混作されていた。

縄文時代の主なできごと
時期
区分 主なできごと
草創期
約13000年前
?
約10000年前
気候環境 この期の初め頃は日本列島が大陸から離れる直前であったと推測されている。晩氷期の気候は、短期間に寒・暖がおこり、厳しい環境変化であった。温暖化が進行し、氷河が溶けて海水面が上昇し、海が陸地に進入してきた。「海進」という。
生活
住居 環境の変化に伴い貝類や魚類が新しい食糧資源になった。狩猟の獲物は、ゾウや野牛の大型哺乳動物からシカやイノシシの中・小哺乳動物に変わっていった。竪穴住居址からサケの顎骨発見。小型の骨製U字型釣針。
石器 局部磨製石斧がつくられる。呪術的なものか? 槍・弓矢の製作・使用。
土器 隆起線文系土器・爪形文系土器・押縄文系土器(多縄文系土器)女性像を線刻した小礫つくられる。
貝塚
早期
約10000年前
?
6000年前
気候環境 日本列島が完全に大陸から離れて島国となっていた。そして、はじめの頃は、現在よりも気温2度ほど低く、海水面も30メートルほど低かった。その後、海水面の高さが戻る。
生活
住居 数個の竪穴住居で一集落を構成する。組み合わせ式釣り針。ドングリやクルミなどの堅果類を植林栽培する初歩的農法が確立し、食糧資源となっていた。狩猟では、大型の哺乳動物に変わって、シカやイノシシなどの中・小型哺乳動物が中心となった。狩猟道具として弓矢が急速に普及した。
石器 網用の土錘・石錘。ヤス、銛。堅果植物を叩いたり、砕いたり、すりつぶしたりするための石皿や磨製の石なども使用されていた。
土器 圧煮炊き用の土器の出現が旧石器時代の生活を変えた。縄文・撚糸文の尖底土器がつくられた。夏島貝塚から撚糸文系土器、貝殻沈線文系土器、貝殻条痕文系土器という早期から終末までの土器が層位的に出土した。小型の土偶がつくられる。
貝塚 貝塚は、この時期の前半には、海が進入して出来た海岸地域につくられていた。貝塚はヤマトシジミが主体であった。狩猟とともに漁労が活発化した。最古級の神奈川県横須賀市夏島貝塚、千葉県香取郡神崎町西之城貝塚。押型文土器期に属する愛知県知多郡南知多町先刈(まずかり)貝塚は海面下13メートルの深さから発見された。人口2万100人。犬を人と一緒に埋葬。屈葬。
前期
約6000年
?
5000年前
環境 気候温暖で海面・気温上昇(縄文海進、海水面4?5メートル高くなる)のため、現在の内陸部に貝塚つくられる。常緑照葉樹と落葉照葉樹。
住居 竪穴住居が広場を囲んで集落をつくる。湖沼の発達により丸木船がつくられる。漁労活動開始。
石器 木器・土器・櫛などに漆を塗ることが始まる。環状列石がつくられる。
土器 この期を境に土器の数量は一気に増加し、形や機能も多様化し、平底土器が一般化する。土器は羽状縄文を施した繊維土器が盛んに作られる(→関山式、黒浜式)。
遺跡 耳飾り・勾玉・管玉などの装身具がつくられる。立石列(りつせきれつ)環状石籬。貝塚。人口10万5500人。
中期
約5000年
?
4000年前
環境
生活
住居 集落の規模が大きくなる。植林農法の種類もドングリより食べやすいクリに変わり大規模化する。
石器 海岸線ほぼ現在に近くなる。大型貝塚形成。
土器 石棒・土偶などの呪物が盛んにつくられる。石柱祭壇。抜歯の風習が始まる。気温低下始める。立体的文様のある大型土器が流行する。
遺跡 貝塚。人口26万1300人。
後期
約4000年
?
3000年前
環境
生活
住居 大型貝塚。内陸地域にも貝塚が出来ていた。製塩専業集団、塩媒介集団、塩消費集団。伸展葬。交易目的の漁労民発生。
石器 大湯環状列石(ストーンサークル)、東北地方に集中。
土器 村の一角に土器塚が出来る。製塩土器。
遺跡 ウッドサークル(巨大木柱遺跡)。敷石住居址。人口16万300人。
晩期
約3000年
?
2300年前
環境 気温2度前後低下。海面も低下。漁労活動壊滅的打撃受ける。
生活
住居 木製の太刀。頭部外科手術か?漁労の網。東北の太平洋側に銛漁開花。
石器 北九州・近畿でも縄文水田。
土器 夜臼式土器。
遺跡 貝塚。人口7万5800人。

^ 青森県蟹田町大平山元?(おおだいらやまもと?)遺跡出土の縄文時代草創期土器
^ 佐々木高明『日本史誕生』集英社、1991年
^ >藤尾慎一郎『縄文論争』講談社、2002年、60ページ?
^ 藤尾、前掲書、74ページ
^ 豆粒文土器や隆起線文土器は華北・華中の細石刃文化の系統と見られている(藤尾、前掲書、74ページ)。
^ この時期の華南系の土器は無紋、つまり縄文などの文様を持たないものである。
^ 藤尾、前掲書、30-45ページ
^ 藤尾、前掲書、66ページ
^ 藤尾、前掲書、82-83ページ
^ 佐藤洋一郎「DNAが語る稲作文明」
^ 後期中葉の岡山県津島岡大遺跡、南溝手遺跡

2009年01月22日

女性器切除

女性器切除(じょせいきせつじょ、Female Genital Mutilation、略称FGM)あるいは女子割礼(じょしかつれい、Female Circumcision)とは、主にアフリカを中心に行われている風習。

歴史的に見てFGMは2,000年もの間、赤道沿いの広い地域のアフリカで行なわれてきた。現在ではアフリカの28ヶ国で、主に生後1週間から初潮前の少女に行われる。アフリカの人口増加に伴い、以前より多くの少女達が性器切除を施されている。

欧米においては、この慣習の存在する地域から移民した人々の間においてもFGMが広く行われていることが昨今の調査で明らかになり、それに対して法的な規制を制定する国も増えてきている。

目的
大人の女性への通過儀礼。
結婚の条件とされている。
結婚までの純潔・処女性の維持を保てると信じられている。
女性の外性器を取り去り性感を失わせることで、女性の性欲をコントロールできると信じられている。
ソマリアでは、「女性は二本の足の間に悪い物をつけて生まれた」と言われており、陰部封鎖させる。

手術方法
一般に土地の伝統的助産婦によって、剃刀やナイフ、鋭い石などが使われ、母親や親族の女性に押さえ付けられて行われる。
不衛生な状況下でたいていは麻酔や鎮痛剤無しで行われることが多いが、エジプトなどでは医療関係者が行っていることがわかり問題となった。
泥や灰などが出血を止めるために用いられることもある。

名称
女子割礼、女性性器変質あるいは女性性器の切れ込み (Female Genital Cutting) 等、この風習を呼び表すために様々な言葉が用いられてきた。そんな中、1990年に開催されたインター・アフリカン・コミッティ (IAC) の総会において、今後は女性器切除 (Female Genital Mutilation) という名称を用いることが決定された。これは、「割礼」という表現がFGMの本質である性器の切除という事実を正確に伝達するものではないばかりか、むしろ、その非人道性を曖昧にしてしまう点を改善しようとするものである。現在このFGMという呼称はEUやアフリカ連合等で正式に採用されている。

国際会議などでは、WHO(国際保健機構)の定義を使うことで同意されている。

タイプ1:クリトリデクトミー(スンナ割礼、clitoridectomy)
クリトリスの一部または全部の切除。
タイプ2:エクシジョン (excision)
クリトリス切除と小陰唇の一部または全部の切除。地域によっては出産を楽にするためとしてさらに膣が切除されるが、実際には逆に困難にしてしまうらしい。伝統的に成年に達した際の儀式として行なわれるが、最近では若年化が進み、もっと幼い少女に行われる。FGMを受ける少女のうち、タイプ1とこのタイプを合わせて約85%である。
タイプ3:陰部封鎖(ファラオニック割礼、infibulation)
外性器(クリトリス、小陰唇、大陰唇)の一部または全部の切除および膣の入り口の縫合による膣口の狭小化または封鎖。その際尿や月経血を出すための小さな穴を残し、少女の両脚をしっかり縛って数週間傷が治るまで固定する。主に4歳から8歳の少女に行なわれ、こちらも若年化が進んでおり、生後数日に行なわれた例もある。FGMを受ける少女のうち、約15%がこのタイプになる。
タイプ4:その他の施術(タイプ1-3に属さないもの)
その他、治療を目的とせず、文化的理由のもとに、女性外性器の一部あるいは全部を削除し、あるいは女性の生殖器官を意図的に傷つける行為のすべて。
性器切除に伴う体への弊害
先述の施術方法で行われることが多いため、大量出血、施術中の激痛、回復まで続く痛み、様々な感染症などを引き起こす。また、手術中のショックで意識不明や死亡に至る場合もある。
後遺症としては排尿痛、失禁、性交時の激痛、性行為への恐怖、月経困難症、難産による死亡、HIV感染の危険性など、女性の生涯にわたって極度の影響を与える。
痛みを恐れて排尿しなかったために濃くなった尿が傷口を刺激し、さらに痛みを増すという。
陰部封鎖の場合、結婚初夜に夫が縫い閉じられた陰部を切り開く部族がいる。自力で花嫁の陰部を開いて性交を果たせなければ面目を失うという。

国際的世論と廃絶
国際社会において、特に1970年代頃から著しい女性虐待であるとして非難の声が強くあがっていた。対する当事国では、そうしたプレッシャーは自国の文化を否定するものとして、文化相対論的論議がおこった。しかしながら昨今では国際的世論とアフリカ内からの廃絶の声とが手を取り合った動きが活発化しはじめている。
最近の動向では、西アフリカの指導者や、ケニアでは性器切除を禁止しているものの、その後まったく実効が上がっていない。
FGM廃絶の国際運動を行っているワリス・ディリーが1999年発表したデータによると年間に200万人、日間に5,500人近い少女が性器切除を受け、性器切除された女性は1億3千万人以上で、累計では13億人にも達すると推定している。
女性器切除廃止のための女性団体、La Palabre(ラ・パラーブル)が設立された。同団体の欧州メンバーとして性器切除、性的暴力や強制結婚を綴った自伝「切除されて」の著者であるキャディ・コイタがいる。
アメリカでは1990年代に(アフリカ移民の間で行われる)この問題が広く知れ渡るようになったが、アフリカの伝統を守るべきという意見がアメリカの男性に多くなかなか法制化に踏み切れないでいる(2008年2月現在)。
ミクロ ノミネー トップ ミゼラブ パビリ フルセッセ 南瓜 シナプス ブーツ ドミニ しんちょ じょうへん ビデア ころどこ ノーシード ククル シューズ ピリミジン レーシズム オーバ モチノキ ジョーンズ ティマイオ サファリジ ウイグル ストリ サーチ バーボ ダイパーズ 勿忘草 サイドス るじゅつ テキサス デビル ゴジラ しいたけ リスト きびざけ にしき パンハ ミラクル ジオラマ オートマト テディー ヒメウ シャツラ サニー ルーム フランベ 湾岸

事件
アメリカでナイジェリアからの移住者の母親が、娘に自分でFGMを施して傷害罪で訴えられた。
フランスに住むアフリカ系女性28人が、娘にFGMを施したとして禁固2?5年の判決を受けた(1999年2月18日朝日新聞より)。
アフリカではFGMの影響で出産時の母子死亡率が極めて高い。